2013年5月26日日曜日

和歌山県串本町に研究調査に行く


2009年5月中旬
ASとその研究に関心のある学生(先輩二名、同輩一名、、後輩二名とA)が和歌山県串本町に研究調査に行った。大学名を出しての公式の調査であった。新聞記者も取材に来た。私たちは新聞の写真にものったし、町内放送でこれから調査を行うので協力お願いします、という町側の協力もあった。
ASはこの町でトルコ親善大使を務めていた。
串本町もASの経歴や研究で串本町に貢献することなどを信じて調査に協力してくれていた。

しかし、串本で何をするのかプロジェクトの概要、通夜島にモニュメントのようなものをつくるとか、大島にインフラフリー住宅をつくるだとか、色々ASは考えていたのかどうか分からないが、結局のところ何をしたいのかよく分からないまま調査に行った。自分も帰国後すぐの突然な話だったので串本で何かをしたいのか、何かできるのか自分自身でもよく分からなかった。何かを実際につくるか提案するところまでできれば研究をする本望だとも言えるが、それでも調査後になぜか乗り気になれなかった。いや、何かをつくるとか提案するということをASはほのめかして実際は調査やデータをまとめる下働きを学生にやらせようとしているとも当時感じた。4月にも、6月にも、データをまとめるようにと自分に迫ってきた。結構強い言い方だった。夏や秋には、GCOEプロジェクトを始める時はまた何かをつくれるから、ヨーロッパに調査旅行に行けるからと誘いかけてきた。実際は何かをつくらせる気もなかったのだろう。人の労苦を利用しようとしていただけなのだろう。2007年に何かをつくる段階に入っていると言っていたにも関わらずそこまで実際に何も作っていないし、作る段階にもなっていなかったし、作る実質的な実績も力もコネも金もなかったからだ。
研究しているかのように見せて外部に入り込むための資料をつくるために学生を動かしていただけなのではないだろうか。文部科学省や経済産業省、JAXA、大手ゼネコン、銀行、電気製品メーカーなど出入りしていた会社、組織は多い。そこから情報を引き出すということが最大の目的だったのではないかとも十分考えられる。

以上のように、自分はインフラフリー建築を提案しそれをつくることができるというASの言葉を信じて大学院に入った、しかしいつまでたっても空想のものしかできない、ついにはデータをまとめるというような希望していたものとかなり違うものをやらせようとされた。データをまとめるのは必要だが、そんなことをしに大学院に入ったのではない。大望、志のない者ならば卒業するために論文を書く、そのために必要だから興味がそんなになくてもやる、ということをできるのだろうが、自分はそれとはかなり違う方向を向いていたから、すぐに従うことはできなかった。データをまとめるように努力したが、なかなか気力が持続せず気落ちばかりしていた。

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